工業製品や交通機器の設計では、「乗員1人の質量」をどのように仮定するかが、安全性や耐久性の評価に直結します。
この値は国や規格によって異なり、日本では従来55〜68kg、欧州では75kg、米国では68kgが採用されています。
それぞれの背景には、人体計測の統計値、使用環境、文化的要因があり、設計者がどの基準を採用するかは、製品の国際適合性(international compliance)に大きく関わります。
1980年代の日本産業規格(JIS)には、以下のような体重設定が見られました。
これらの値は、当時の日本人平均体格を基に便宜的に設定されたものです。
しかし近年の日本人平均体重(男性約70kg、女性約55kg)と照らし合わせると、旧JIS値は現実より軽いことが分かります。
現在は国際整合化の流れを受け、75kg/人を標準とする試験法・安全基準が主流になっています。
欧州では、ISO(アイエスオー:International Organization for Standardization)およびEN(イーエヌ:European Norm)が「1人=75kg」を標準値として採用しています。
特にISO 8100-1:2019およびEN
81-20:2020はエレベータの設計基準を定め、前文の0.3.6項で以下のように明記しています。
“Average passenger mass is assumed to be 75 kg.”
(乗客の平均質量は75kgと仮定する。)
この75kgは、成人男女を平均化した値に安全余裕を加えたものであり、欧州連合(EU)域内のすべての昇降機・車両設計・建築設備に共通して適用されています。
自動車分野でもEU Regulation No.1230/2012が「1人=75kg(うち手荷物7kg)」を定めており、これが欧州型の国際標準とされています。
米国では、NHTSA(エヌエイチティーエスエー:National Highway Traffic Safety Administration)が管理するFMVSS(Federal Motor Vehicle Safety Standards)で、乗員1人の質量を68kg(150lb)と規定しています。
たとえば、連邦公報(Federal Register 2023/11/13)に掲載されたFMVSS関連文書には次のように記載されています。
“Each designated seating position shall be ballasted with a 68 kg (150 lb) mass.”
(各座席位置に68kg(150ポンド)の質量を設置すること。)
この基準は、戦後の米国人平均体重(約68kg)を基に定められたものであり、現在でも横転試験・電子安定性制御(ESC)試験・衝突試験などで使われています。
北米市場向けの製品では、この68kg基準を考慮した設計検証が必要です。
以下は、地域・規格ごとに採用されている代表的な体重基準を整理したものです。
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地域・規格 |
想定質量 |
用途・備考 |
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ISO 8100-1 / EN 81-20(欧州) |
75kg/人 |
昇降機・建築設備・安全計算 |
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EU Regulation No.1230/2012 |
75kg/人(68kg+手荷物7kg) |
自動車・乗員配置・R点計算 |
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FMVSS(米国) |
68kg/座席 |
自動車・衝突・横転試験 |
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日本国内運用例(JIS D4604) |
75kg/人 |
シートベルト試験・車両耐荷重 |
エレベータ・昇降機分野では「75kg統一」が完了しており、自動車分野では欧州=75kg/米国=68kgの二系統が併存しています。
したがって国際的な製品開発では、両方の基準を併記し試験する「デュアル適合(dual compliance)」が求められます。
1) 基準の整合化を図る
国内向け試験では75kg、米国輸出向けには68kgを採用し、設計仕様書に両方の値を併記する。
2) 社内文書の改訂
古いJIS値(55kg・63kg・68kg)を使用している社内規程を見直し、最新国際値に統一する。
3) 試験治具・バラストの標準化
試験装置に使用するダミーやバラストを、75kgおよび68kg仕様でそれぞれ準備し、条件ごとに選択できるようにする。
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用語 |
説明 |
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JIS(Japanese Industrial Standards) |
日本産業規格。国内の工業製品・安全基準体系。 |
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ISO(International Organization for Standardization) |
国際標準化機構。世界各国の規格調整機関。 |
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EN(European Norm) |
欧州規格。欧州標準化委員会(CEN)が制定。 |
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FMVSS(Federal Motor Vehicle Safety Standards) |
米国連邦自動車安全基準。68kg基準を採用。 |
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NHTSA(National Highway Traffic Safety Administration) |
米国運輸省の自動車安全機関。FMVSSを策定。 |
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R点(Seating Reference Point) |
自動車座席設計の基準点。乗員位置を定義する。 |
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代表体重(Representative Mass) |
設計や試験で仮定する1人あたりの質量。 |
作成日:2025年10月29日
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